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大阪家庭裁判所岸和田支部 平成11年(家)1002号 審判 1999年11月12日

申立人 大阪府●●子ども家庭センター所長 A

事件本人 B

保護者・親権者母 D

主文

申立人が事件本人B及び事件本人Cをそれぞれ児童福祉施設に入所させることを承認する。

理由

1  申立ての趣旨

(一)  大阪府●●子ども家庭センター(以下「センター」という。)は、児童福祉法15条に基づいて大阪府が設立した児童相談所であって、申立人は、センターの長であり、児童福祉法32条1項に基づいて大阪府知事から同法第27条1項、2項の措置を採る権限を与えられている者である。

(二)  保護者・親権者母D(以下「母」という。)と申立外E(以下「父」という。)は、昭和56年7月21日に婚姻し、○年○月○日に申立外F(長男、以下「F」という。)を、同○年○月○日に事件本人B(二男、以下「事件本人B」という。)を、平成○年○月○日に同C(三男、以下「事件本人C」という。)をそれぞれもうけたが、平成9年10月16日に子どもらの親権者をいずれも母に指定して協議離婚し、以後、母は、住所地の従前住居(マンション)において、母子4人で生活している。

(三)  母は、離婚前から強迫性障害を疑わせる行動をとっていたところ、離婚後、家に引き籠もって世間と没交渉の生活を続けており、事件本人Cは平成8年4月に、同Bは上記離婚の年の平成9年4月にそれぞれ小学校及び中学校の入学年令に達したのに、いずれも一日も登校していないばかりか、家の外に出ようとすらしておらず、一人Fのみが社会との接触の窓口となってきた。

(四)  センターは、平成9年から事件本人B及び同Cがそれぞれ在籍する岸和田市立○○中学校及び同市立○○小学校、岸和田市教育委員会、及び、同市福祉課と協力して、Fを通じてまたは直接、母に入院治療を勧めるとともに、事件本人らを登校させるよう働きかけてきた。

(五)  これまで、母と直接面談できたのはa病院の医師と保健所の精神保健相談員のみであって、母は、同医師から入院治療を受けることを勧められるとその気になるが、いざとなると踏み切れず間際に断ることを繰り返してきており、センターからの電話連絡に対し、極くまれに直接応対することもあるが、その都度、「家族のことは放っておいてほしい。自分たちで何とかする。」旨答えるのみで問題の解決に取り組もうとせず、窓口となっているFも総じて同様の態度に終始している。

(六)  事件本人Bは、父母の婚姻中、小学校に少しは登校していた模様であるが、同Cについてはその発育状況がまったく不明であって、上述の生活状況からすると、両名ともに母の強迫性障害の影響を多分に受けていて、放置すれば、将来社会に適応できなくなることが懸念される。

(七)  申立人は、これらの事情に鑑みて、同法27条1項3号に基づいて、事件本人らを同号所定の児童養護施設等の児童福祉施設に入所させるのがその福祉に最も適すると判断したが、母の同意が得られないので、同法28条1項1号に基づき本件申立てに及んだ。

2  当裁判所の判断

(一)  本件記録中の戸籍謄本及びその附票、家庭裁判所調査官らの調査報告書、家事審判申立補足資料と題する書面、a病院精神神経科医師Gの意見書、申立人代理人らの上申書と題する書面及びその他の資料によれば、次の事実が認められる。

(1)  申立ての要旨(一)ないし(五)記載事実

(2)  母及びその強迫性障害について

<1> 母は、昭和○年○月○日、Hの子として岸和田市に生まれ、同56年3月に岸和田市立○○中学校を卒業してからしばらく卸問屋で働いた後、同年7月21日(当時満16才)に同じ中学校で1学年上であった父と婚姻し父の実家で生活していたが、同59年9月に同市○○町の府営住宅に移り、平成8年1月に父及び子どもらとともに現住居のマンションに転居した。

<2> 母は、もともときれい好きの性格であったところ、平成○年○月○日に事件本人Cを出産してからいわゆる育児ノイローゼのようになり、ついにはこれが高じて、例えば、入浴するに際し、あらかじめ浴室と浴槽をきれいにするのは当然として、問題は、その程度が度を超しているだけに止まらず、その前に脱衣場を清潔にしなければならず、さらにその前に何々しなければ気が休まらないというふうにその準備行動がエスカレートしていき、あることをするのにその準備に何時間もかかって結局何もできないことになり、また、これらの準備行為を終えて、いったん入浴するなりトイレに入るなりすると、今度は、外部の状態が気になって何時間も出てこられなくなり、さらに、家の外との関係でいうと、隣家がベランダで布団をたたくと、ほこりが付くことを気に病んで洗濯物や布団を千すことができなくなり、汚れて帰ってくることを恐れて子どもらが外出しないように仕向けるという具合に、通常の生活を営むことができなくなった。

<3> 母の上記症状が最も重かったのは、1、2年前で、このころ、母は、食事をするのに半日ないし丸1日かけていて、勢い食事と睡眠はそれぞれ2日に一度しか摂れないという状態を続けていたところ、現在、食事時間は6ないし7時間と多少改善されているが、それでも、排便に1・5ないし6時間、排尿に1ないし3時間かけており、それ以外は寝床で横になっているか、または、ほとんどリビングルームに座り切りで、数か月間入浴はもとより着替えすらしておらず、用事は、すべて子どもたちに指示して行わせている。

<4> 母は、子どもらに対しても、日常生活における危険性を細々と想定して、それらをすべて回避するように教え込んでおり、特に、学校は危ない所との考えから事件本人らの登校に消極的であったが、最近では、少し考え方が変わったらしく、これに反対していないと述べるようになっているものの、いざとなると決断ができない状況にあり、事件本人らの心身への悪影響が心配される。

<5> このように、母は、通常よく見られる神経症レベルのものとは程度において大きな差異のある重度の強迫性障害に罹患していて、秩序性へ固執傾向を極端に強めることによって安全保障感の欠如を補おうとしているため、日常生活において、細部にわたり一定の複雑な儀式行為を経ないと安心感が得られず、また、危険性を回避しようとする傾向が極端に強いことから、日常の生活行動が制限され、かつ、容易に物事を決断できない状況にある。

(3)  母、F及び事件本人らの日常生活について

<1> 現住居の賃料は月額10万7000円で、平成11年6月までは父が支払ってきたが、同年7月からこれを停止しており、母は、同月から生活保護を受けていて、月額25ないし30万円の生活保護費と児童扶養手当4万7900円の支払いを受けて母子4人の生活費に充てている。

<2> 現住居の間取りはいわゆる3DKであるが、3室のいずれにも上記転居の際の荷物が段ボール箱に詰めたまま積んであるので、母子4人が共にダイニングキッチンで寝起きしており、以前は児童扶養手当のほか定収入がなかったため、食事は2、3日に一回しか摂れなかったところ、上記生活保護を受けるようになってから毎日1回、時に2回摂るようになったが、従前どおり、Fが買い入れてきた惣菜や缶詰、レトルト食品その他のインスタント食品ですべて済ませており、調理に台所を使用することはない。

<3> 母は、寝床で横になっていることが多いが、F及び事件本人らは、午前8時までに起きるようにしており、日中はテレビを見たりゲームをして過ごし、就寝時間はテレビの番組によって左右されてまちまちである。

母子4人共に起きている時と就寝時の衣服は別にしているが、それ以外に着替えはせず、従って洗濯はしていないし、布団も干すことなく、数か月にわたって入浴も散髪もしておらず、Fを除く3人がいずれも家に閉じこもりの生活を続けている。

<4> 本件については、常時、家庭裁判所調査官Iを含む3名ないし4名の家庭裁判所調査官(以下「家庭裁判所調査官ら」という。)が(5)<1>に記載のとおり共同して調査を担当し、Fとは3回面接して事情を聴取し、8月20日の家庭訪問の折りにも玄関口で同人と顔を合わせているが、その都度、同人が長く伸びた頭髪を後ろでくくり、同じ服を着ているのを観察しており、この同人の身なり、同調査の機会に母及び事件本人Bが面接を断る理由として、いずれも「身だしなみができないので人に会えない。」旨述べていたこと及び<3>の事情からすると、母及び事件本人らの身なりも同様の状態にあることが推測される。

(4)  F及び事件本人らの個別事情

<1> F

a Fは、○○中学校1年生のときには、全授業日数の2分の1強登校していたが、2年生のときには約6分の1、3年生のときには4日間しか登校しなかった。

b 同人は、平成9年3月に同中学校を卒業し、アルバイトをしていたが、同年5月ころ、父が家を出て行ったことにともなって辞め、以後定職に就かず、上記のとおり、母や事件本人らの生活の世話をするとともに外部社会との折衝の窓口役を務めている。

<2> 事件本人B

a 事件本人Bは、府営住宅からの上記転居にともない、小学校5年生の終わりころに○○小学校に転校してきたが、5、6日登校しただけで、修学旅行には参加したものの以後まったく登校しなかった。

b ○○中学校では、家庭訪問等を含めて母及び同事件本人との接触や在宅指導を図ってきたが、ほとんど接触できておらず、上記のとおり一日も登校することなく現在に至っている。

c 平成11年6月末にFが○○中学校及び○○小学校の関係者と話し合った結果、事件本人らを登校させるための前段階として、各担任教諭との間でノートを交換することが決まった。

d 家庭裁判所調査官らは、(3)<4>の面接の際、Fから「事件本人Bは、たまに買い物について来ることがある。」と聞いているが、センターがこの事実を確認できていないことからすると、おそらく、夜間、人目に触れないようにして同行しているものと推測される。

<3> 事件本人C

a 同事件本人は、以前○○幼稚園に通っていたことがあるが、やや小柄で大便の後始末ができずにおしめをしており、ほとんど休んでいた。

b 現在、満10才で小学校4年生であるが、Fの話では、まだ1人でトイレに行って用を足すことができず、事件本人Bがその世話をしているとのことである。

(5)  母、F及び事件本人Bの本件申立てについての意見

<1> 家庭裁判所調査官らは、平成11年6月から8月にかけて、当庁に面接のため呼び出したり、2回にわたり家庭訪問を行うなどして母及び事件本人らから面談により事情聴取することを試みたが、母及び事件本人Bとは電話やインターホーンにより若干の対話はできたものの、顔を合わせることができず、事件本人Cとは対話すらできないままに終わった。

<2> Fは、家庭裁判所調査官らと面接した際、「事件本人らを学校に行きやすくなるように、まず、学校と交換日記を始めており、事件本人らを施設に入れるのは反対である。母は、薬を飲んでも入院しても治らない。自分たち家族の力で治すよう努力している。ほかから介入されると、母の病気が余計悪くなる。」旨、事件本人らの施設入所に反対する意見を述べ、母及び事件本人Bも<1>の対話の際及び<3>の審問期日の当日の朝、電話で同様の意見を述べた。

<3> 当裁判所は、母から直接事情を聴取するべく、平成11年8月18日に審問期日を同月30日午後1時30分と指定して通知したが、母が出頭を拒んだため審問できずに終わった。

(6)  父及び祖母の生活状況及び本件申立てに対する意見

<1> 父は、長距離トラックの運転手で、現在月に1回くらい電話をかけてくることを除くと、事件本人らとは没交渉の状態になっているところ、平成11年6月17日、当庁に出頭して家庭裁判所調査官らの事情聴取に応じたが、その際、「母は、入院して治療するほかないし、事件本人らをいきなり学校へ行かせるのは無理だから、しかるべき施設に入所させるのがよい。」旨意見を述べた。

<2> H(昭和○年○月○日生)は、母の実母であって、岸和田市○△町××××番地に居住し年金で生活しているが、糖尿病を患っていて足が不自由であり、買い物も近所の人に頼んでいる状況にあるところ、平成11年6月14日の家庭裁判所調査官らによる訪問面接の際、「これまで、一生懸命に母や事件本人らの世話をしてきたBの気持ちを思うと、事件本人らの施設入所に賛成する気にはなれない。」旨述べた。

(二)  そこで、本件申立ての当否について検討する。

(1)  (一)(1)に認定の申立ての要旨(二)ないし(五)記載事実、母及びその強迫性障害についての同(2)、母、F及び事件本人らの日常生活についての同(3)<1>ないし<4>、F及び事件本人らの個別事情についての同(4)の各認定事実、上記家庭裁判所調査官らの調査報告書、申立人代理人らの上申書と題する書面及び家事審判申立補足資料と題する書面を総合すると、次の事実が認められる。

<1> 事件本人Cは、小学校4年生であるにもかかわらず、現在なお1人では排便の処理のできない状態に止まっており、同事件本人は小学校に、事件本人Bは中学校にそれぞれ入学してから、共に一日も登校していないばかりか、家族以外の者とも会っておらず、栄養のバランスを考えて調理した食事も摂らず、着替えも入浴も散髪もせず、外気の下で日光を浴びて駆け回ることもなく家に閉じこもって生活している。

<2> このような状態に陥ったのは、事件本人らの知能・性格及び体質に格別の問題があるからではなく、ひとえに重度の強迫性障害に起因する母の精神状態、生活態度及びその言動に影響された結果によるものであって、母は、自分が強迫障害に罹患していることを自覚していながら、この病気特有の精神状態のため清潔と安全を極端に願う余り、かえって、自分を含む家族全員に<1>に記載のような生活を送らせ、事件本人らのしつけもできないままに放置し、入院も、事件本人らの施設入所も決断できない状況にあり、Fも事件本人Bも母の精神状態の影響を強く受けて現在の生活に固執するに至っている。

<3> センターでは、本件申立てが認容された場合、事件本人Bについては、一定期間一時保護所に入所させて心理的安定を図るとともに行動観察を行い、また、同Cについても、できれば同様に一時保護所において緊急保護と行動観察を行った後、それぞれ最も適切な児童福祉施設に入所させる方向で検討している。

<4> センターの嘱託医であるb病院のJ医師は、母の強迫性障害について、「入院すれば治る。」旨診断し、センターの担当者に対し、「自分が治療を引き受けてもよい。」旨言明している。

(2)  (1)<1>ないし<4>の各認定事実によれば、現在の家庭生活を維持させたままで小・中学校やセンターなど外部からの教育・生活指導によって、社会に出た場合に事件本人らに最低限必要とされるしつけ・教育・情操及び社会性を身に付けさせることはまったく期待できず、したがって、現状のまま事件本人らを母の監護の下に放置することは、著しく事件本人らの福祉を害することになり、事件本人らを児童福祉施設に入所させることが最もその福祉に適合すると認められるから、本件申立てをいずれもを認容するのが相当である。

(3)  母及びFは、いずれも事件本人らの施設入所に反対しており、事件本人Bも同様であって、その言い分は、(一)(5)<2>記載のFの意見に集約されているところ、当裁判所の判断は(2)に記載のとおりであって、その意思に沿うことはできない。

(4)  なお、当裁判所は、母及び事件本人らを思うFの気持ちの深さと、これまでの献身に敬意を惜しまないが、もっと広い心で世の中を見るように心がけ、母に一日も早く入院して治療を受けてもらったうえ、しっかりした職業に就いて、自らの足元を固め社会に適応することが肝要と考える。

そして、母が早く良くなって家族全員が再び一緒に暮らすことのできるよう、仕事に差し支えのない範囲で足繁く病院や施設を訪問することにより、これまでと同様に母と事件本人らの心の支えとなり、相互のきずなになるとともに、事件本人らの見本となることを期待するものである。

3  よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 難波雄太郎)

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